アレルゲン探索の旅は、いよいよ大詰めに差しかかって来ました。前の記事で、約半世紀前の枯葉剤やダイオキシンによる環境汚染の事を書きましたが、それよりもう少し前に、もう一つ忘れてはならない環境汚染があったのです。それは、「DDT」でした。
DDTによる環境汚染は世界的規模で進行し、その為に早くから生態系への悪影響が指摘されていました。その為に、日本においては、比較的早く1971年に全面的な販売停止となっていますので、日本人の記憶の中からは、もう消え去っているかも知れません。しかし、頭の中の記憶から消え去ったとしても、身体の中にはアレルギーとしてしっかり残っていたのです。
殺虫剤DDTの歴史
https://nouyaku.net/tishiki/REKISHI/reki2.html (転載開始)
DDTの誕生
DDT自体は 1873年に合成されていたそうです。 1930年代になってスイスのガイギー社のミュラーを中心とする研究グループは繊維の防虫剤を研究する課程でDDTに強い殺虫性があることを発見して農業用・防疫用殺虫剤として商品化を目指しました。DDTの高い殺虫活性が戦場における疫病の回避に役立ち、兵士の健康を維持できることを知った英米は1943年頃にDDTを工業化し、蚊によって媒介されるマラリアの患者を激減させることに成功しました。このことがDDTを世界に知らしめたきっかけです。
この功績により1948年にはミュラーにノーベル賞が贈られています。
終戦後、日本に入ってきたアメリカ軍はチフスやシラミの撲滅のため、日本人の身体に真っ白になるほどDDTをかけてまわります。街が破壊され衛生状況の悪くなった日本において、数万人規模で死者が出ると予想されたチフスの予防に成功し、1950年代にはチフスは日本では見られなくなりました。このことが日本人にとっていかに重要なことであったかは当時の記事などをみるとわかります。
DDTの力に過大な期待をいだいたアメリカ
DDTの製造には、化学工業から副生してくる塩素を利用するので安価に大量生産できました。DDTという武器を手に入れたアメリカは国内の森林保護を目的に葉を食い荒らすマイマイガや家屋への侵入が問題になっていたファイヤーアントの撲滅計画に乗り出しました。連年、大量のDDTが森林にまかれ害虫による被害は減りました。しかし、決して根絶することはできなかったのです。自然はそんなに甘いモノではありません。そこで、さらなる散布の徹底を目指し、DDTの使用量は増えていきます。
また、カやハエが発生したという些細なクレームにも役所は湖にDDTを流し込むなどの方法で対応しました。住民も害虫問題が解決するので、そのことを望んでいました。
その結果、使用開始から30年の間に全世界で300万トン以上に及ぶDDTが散布されたと推定されます。地球表面全てがうっすらと白くなるほどの量だそうです。
サイレントスプリング
これほど大量にまいても当時の人たちは害が起こるとは全く思っていなかったようです。しかし、ごく一部の生理学者たちは1950年頃にはすでにDDTによる野生生物への影響が出ていることや、魚や鳥にDDTが蓄積されていることに気がつきはじめていました。
これら生理学者と連絡を取り合いながら、大量の殺虫剤散布が野生生物に悪影響を及ぼすことをレイチェル・カーソンは1962年に「サイレントスプリング」という一般向けの書物としてまとめ上げました。カーソンはこれ以前からすでに作家としての名声を確立していたこともあり、ただちに「サイレントスプリング」はベストセラーとなります。この本はDDTを名指しで批判しているわけではありませんが、最も使用量の多いDDTがその後やり玉に挙がったのは当然のことでした。
アメリカ政府はDDTの悪影響をなかなか認めようとはせず、その後長らくの論争となりました。このことにはDDTを製造していた会社の意向もあったと言われています。最終的には 1968~ 1970年代にかけて環境保護庁の設立や、数々の公害防止法案の策定などを行うに至ります。もちろん、DDTなどの大量散布も取りやめとなっています。(一方、このころベトナムで大量の枯葉剤散布がアメリカによって行われています。)
日本は意外と(?)素早くDDTを販売禁止に
日本では昆虫の撲滅を目的としたアメリカのような大量散布は行われていませんでしたが、サイレントスプリングは「沈黙の春」と和訳され、やはり大きな話題となります。殺虫剤の使用方法の違いなどはあまり考えられることもなく、DDTが悪いという風に話が単純化されてしまったようです。そのせいか、世界の中でも先陣を切って1969年には稲作への使用禁止を指示、1971年には全面的な販売停止となりました。
(転載終了)
DDTは、日本人が持っている化学物質のアレルギーの中で、おそらく一番古いのではないかと思います。日本では戦後の一時期(20~30年)、「DDT」から始まり、「枯葉剤」、「ダイオキシン」と、あまり意識される事なく、化学物質の大量環境汚染が進行しました。それらは、現在はいずれも使用禁止にはなっていますが、私達の身体の奥に「アレルギー」と言う形でしっかりと刻み込まれ、代々受け継がれてゆく事になります。そして、それらのアレルギーがほとんどの慢性病に深く関わっている事も分かってきました。
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